梅の里便り第18号 

みなさんは、11月11日付けの朝刊第1面を飾った、「卑弥呼の宮殿跡【!?】発見」という ニュース記事をご覧になられましたか?

今回はそのことに関連して書いた僕の日記を載せさせてもらいました。

 

「自然農」の師匠、川口由一さんは卑弥呼にゆかりの人だった!? 2009.11.11

昨日夕方のテレビニュースに目を奪われてしまった。
「奈良・纒向遺跡:3世紀の大型建物跡 卑弥呼の宮殿の可能性」とのタイトルだった。
 
見るともなくみていた現地の写真、どこかで見たことのある光景のように思えたからだ。
ニュースを見終わった後、インターネットで新聞のニュースを検索してみた。
すでに数十件のヒットがあった。

これは朝日新聞の記事
http://www.asahi.com/culture/update/1110/OSK200911100082.html

やはりこの発掘調査地には見覚えがある気がする。
ここは「自然農」の師匠、川口由一さんが数年前までお米を栽培されていた田んぼではないのか?
11
年前の初夏の合宿会の時、ここで田植えをしたような気がする。

他の新聞記事を見てみたが、『そうに違いない!』という思いはふかまったものの、残念ながら確証を得られるものはなかった。

でも、今朝の朝日新聞の第一面の写真と地図を見て、さらにその確信は深まった。(家内は半信半疑だったが・・・。)

なんとかして確かめたい。そうだ、赤目自然農塾のスタッフをしている知人に聞いてみよう。残念ながら朝は電話が通じなかった。
そして、夜になってあらてめてした電話が通じた

「もしかして・・・」
僕の問に、
「そうなんですよ。
 9月から発掘がされていて、川口さんの田んぼ3分の2ほどから発掘されたんだそうです。」
という答え。

『やっぱり!!』
僕はわがことのように心が躍った。

冷静に考えると、家内がいう通り、それほど興奮することなのではないのかもしれない。
確かに歴史的な発掘結果かもしれないが、たまたまそれが自分にとって縁のある人、深いゆかりのある地であったということにすぎない。

でも、あの田んぼははたしかに「自然農」の百姓としての今の自分の原点に繋がるものであったところだということには違いない。
そして、わが師匠川口由一さんがその田んぼで20年近くにわたって「自然農」を営んでこられたこともまた事実である。

家内が言う通り、何の根拠もないことではあるけれど、もしかしたら川口さんは邪馬台国の卑弥呼とゆかりのあるひとの末裔なのでは・・・といった妄想が沸き起こる。
そして、たとえそうではなかったとしても、そう想像してみるだけでなんとなく心が弾む。
今宵ばかりは、そんな太古の昔へと想いを巡らし、自由奔放な妄想の世界にに遊びたいと思っている。

 

100%真剣に取り組んでいる!? 2009.11.24

この週末は「自然農」の師匠川口由一さんの「漢方」の勉強会に行っていました。

会場が奈良県桜井市であったこともあって、僕は2日目の朝、前回のブログに書いた、卑弥呼の宮殿の可能性が高いといわれている3世紀の大型建物跡が出土した「奈良・纒向遺跡」の発掘現場(つまり川口さんの田んぼ)を久しぶりに訪れた。

先週末の現地説明会の時には一万人をこす人出でにぎわったと聞いていたが、その日も日曜日でありながら、早朝の発掘現場(川口さんのたんぼ)に人影はなく、おかげで、人目を気にすることなく発掘現場の周りをゆっくりと一周することができた。

残念ながら、午後からの雨が予想される休日とあって現場はブルーシートで覆われたままであったが、それでも、悠久の昔、卑弥呼の時代から現在に繋がる時間の流れに、ゆったりと思いをはせることができた。

おりしも飛鳥の方向に昇ってきた朝日の光が、僕にも何か特別なメッセージを語りかけてくれているような気さえした。

前日、川口さんが、巻向遺跡の発掘も題材にした「世界不思議発見」を全員で観たあとのコメントを参加者のみなさんに求められたときに、みなさんが連綿とつながる歴史の重みとか、今この時代に発掘された意味とかに関した深いコメントをされている中で、僕も思わず発言したくなって、

「川口さんの田んぼから卑弥呼の宮殿跡ではないかと思われる遺跡が発掘されたこと。そし て、それが11年前に自分も田植えをさせてもらった田んぼであり、しかも(川口さんが「自  然農」を始められて以来30年以上今でも続けられている方の田んぼではなくて)、10年  ほど前からは作られていなかった方の田んぼであったことが、めっちゃうれしかった。」
と、『めっちゃ軽い』コメントをした。

で、その時は川口さんは、僕のコメントに対しても言葉を重ねられることなしに、多くのみなさんのコメントを聞かれたあとで、いつもの深いお話をされて締めくくられたので、『ま、いいか』と感じていたのだが、

夕べの夜のお話の中で、僕のコメントに触れて、
「言葉としてとても新鮮だった。」といわれたそうで、

(僕は事情があって夕べは中抜けで不在だったので後で人から聴いた)
今日の学びの中でも何回かにわたって、僕の言葉を面白がって繰り返してくれていたのが意外でもあり、
いつも高い境地に立たれていて、早くその境地に近づきたいものだと思っている師匠が、
僕の言葉を面白がってくれたことが、それこそ
「めっちゃ嬉しかった!」

ただし、それはそれとして、
川口さんの境地の高さの一因が裏付けられたとも言えるような、今回の発掘結果でもあるだけに、 今自分が、「自然農」や「漢方」を学んで自らの自立をはたし、そしてさらに、それを後に続く人たちにも伝えていきたいという志を持って時を重ねている者の一人として、
『どれだけ真剣にそれに取り組んでいるのか?』ということを、改めて問い直さねばならないという想いが深まりもした。

師匠の人生の意味の深まりや拡がり、そしてそれをより多くの人にも認知させようという大いなるときの意思を感じられることに浮かれてばかりでは、師匠の想いを受け継ごうとする学びの一員に加えてもらっているものとしてあまりにも情けないことである。
事実、今回は日々の慌しさに流されて、宿題がまったくできていなかった。

もう一度自分の真剣さを問い直す必要性をしみじみと感じている。

 

自分の行動に信をおいているか? 自分の人生に信がおけるか? 2009.11.25

学習会の2日目の夜の学びの中で、川口さんは、
「歴史的な発見は発見として、その出来事を通じて、
 自分の人生を考える上でどういった意味づけをしているか?」
という問いかけをなされたそうだ。
そして、それに先立つお話で、過去から現在未来へと続く形無き時の流れの中で、形のなきものから形のあるものへ、そしてまた形のなきものへと、生じ滅っしを繰り返している一つの命の存在として、
「今の自分のありようにどれだけ信がおけているか」
ということが、人生においてはとても重要なことだという意味の講和をされたようだ。

そういう観点で考えたときに、僕は正直、今の日常に100%満足しているわけではない、つまり信が置けていない状態のときがある、と感じているわけであるが、

今一度、その大前提である、
「教職から自然農の百姓へと生きる道を変えた自分に信がおけているか?」
という問いかけを、改めて自分自身にしてみた。
回のお野菜セットに入れるサツマイモの整理をしながら・・・。

そして、ありがたいことにその答えは今回も「Yes」であった。

これからも、『自分に信がおけているか』ということを、人生の節目節目で自らに確認しながら、しっかりと自分の人生を歩んでいきたいと考えている。

来年はいよいよ人生50年目の節目を迎える。
秘めることと、言を明らかにすること、それぞれを大切にして、
意味ある一日一日を過ごしていこうと思っている。

 







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